30代半ばで脱サラを決意したきっかけ

脱サラのきっかけは東日本大震災。人生のタイムリミットを意識したら、サラリーマンは割に合わないような気がした。

まだ、何も成し遂げていない私が自分語りをしてもしょうがないのですが、脱サラに向けた行動だけではなく、考え方も書いていくことによって、よりリアリティが増すと考えているので、あえて書いていきます。しばらくこんな記事が続くかもしれませんが、お許しください。

あの日、私は会社で普通に仕事をしていました。揺れ始めはなんか気持ち悪い揺れ方だなってくらいでしたが、だんだん強くなって、こりゃヤバイと思い机の下へ。その後もどんどん揺れは強くなり、天井は落ちてくるわ、壁は崩れてくるわ。それでもなお弱まらない揺れ。

机の下で感じたことは「人間ってこんな感じで死ぬのか。。。」
これまで大きな病気やケガをしたことのない私が初めて意識した自分の死でした。

結果的に命は助かりましたが、職場はまさに壊滅状態。それから数ヶ月は復旧作業やなんかでとにかくバタバタしていましたが、落ち着いてきて通常業務に戻ってきたときに、ふと頭をよぎったのが「このままサラリーマンとして働き続けて満足か」ということ。

プロフィールにも書いていますが、自分は多趣味で新しいスキルを身につけるのが好きな人間だと思ってます。やりたいことはたくさんあるのに、仕事でヘロヘロになってそちらまで手が回らない状況でした。

決して仕事が嫌いというわけではありませんでしたが、それよりもプライベートでやりたいことがいっぱい有り、だけど出来ないことの方が多い。

サラリーマンでいることで経済的な余裕はそこそこあるし、自動車の設計開発はサラリーマンじゃないと出来ないことではある。だけど、今の状態で死んだときに後悔しないだろうか?

私は文才が無いのでこうして書いてみると妙に安っぽく見えてしまいますが、嘘偽りの無い事実で、ただのサラリーマンの愚痴レベルとは明らかに違う意識の変化が起こりました。

脱サラをしたときを想像して、誰もが真っ先に心配するのが経済的な安定が無くなること。

当然私もそうでしたが、「人生の残された時間」という判断基準を加えたときにいよいよ悩みは増していきました。

最近は定年も65歳になりつつあるし、そこから好きなことをやるなんていってもなぁ。。。

かといっても脱サラして稼げなかったらどうにもならないしなぁ。。。

あの地震がなければいつも通り「脱サラなんかしても生活できないからサラリーマンを続ける」という答えが出てそこで終了でしたが、初めて具体的に一段深掘りする行動を起こしました。次回に続きます。